2011年4月16日土曜日

日本人の思考ロジックの不思議

 未だに福島原発事故が収束する兆しすらない。困ったものだ。被災された方々には心よりお見舞い申し上げる。ところで、この二次災害とも言うべき電力供給問題や放射線汚染の問題の報道を聞いていて、不思議に思った方はいなかっただろうか? 小生には理解できない思考ロジックがあった。

 今回の福島原発の事故の原因は、一言で言えば「想定外だった。」である。日本人は、「最悪の事態」を想定する、議論の場に上げることを極端に嫌がる傾向にある。それが福島原発を引き起こしたと言っても過言ではないはずだ。今回の原発の事故で日本人はそのことを学んだはずなのに。ところがである。

 まず、今回の震災でこの電力供給能力が低下し、この夏場に需要を賄えないことが危惧されている。この所の報道を聴くとなんとか計画停電は避けられそうだということになっている。だが、この報道をよく調べると「去年の同時期の電力需要に比べると…」とか「ここ三年の平均の電力需要に比べると…」と書かれている。去年の夏は確かとても暑かった。電力需要が高まるのは夏場だから、去年の電力需要は過去最高だったとでも思っているのだろうか? 過去のデータは東京電力のホームページに記載があったのだが(今は何故か非公開になっていました。)、過去最高はもっと昔のことであった。なぜ過去最高を調べないのか。小生の記憶が確かなら、過去最高となった時の電力需要は6150万kW。昨年の過去最高よりも1000万kW以上多かった。なぜ、最悪のケースで議論しないのだろうか?

 次に、菅総理が「もう被災地には10年、20年は住めない。」と被災地の町長に話して顰蹙をかったニュースが流れた。どのような会話の中でこのような説明がなされたのかは知らないが、話を聞いていた町長が、地元の被災者に対して、「なぜ、こんな心無いことを言うのだ。」と切々と訴えていたのである。さらにマスコミは、このエピソードを繰り返し、報道しているのである。これは菅総理の対応を批判してのことであろう。小生にだって、被災者の方は地元に帰りたがっている気持ちはわかる。しかし、行政を任せられた者であれば、被災地に10年、20年住めなくなる可能性はもう十分視野に入れて検討すべきであろう。(この可能性が高いと言っているのではない。広島や長崎だって、そうはならなかったことを考えれば、その可能性は少ないと思う。ただ、最悪の事態として起こりうるし、もう行政の長であれば検討の範囲に入れて考えるべきだと言いたいのである。)なぜ、最悪のケースを議論の場にあげないのか?

 地元町長が被災者に対して、「なぜ、こんな心無いことを…」と発言していて気がついた。この地元町長は、「言葉に出してしまうと、現実になることを恐れている」のではないか? だから、「不吉なことは言葉に出すな!」と言いたいのではないか? これは日本人が昔から持っている宗教観”言霊信仰”である。外国にはこのような宗教観はないため、最悪のケースを議論することだって、別になんら支障はない。しかし、日本人の宗教である言霊信仰では、不吉なことを言葉にするとそれが現実になってしまうと考えている。もしかしたら、この言霊信仰があるから日本人は最悪のケースを想定することがはばかれるのかも。

 日本人の多くは自分は無宗教だとか、信仰を持たないと言っています。しかし、日本人ほど定期的に多様に富んだ宗教行事を行う民族はいないでしょう。初詣、しめ縄飾り、供餅、鏡開き、ひな祭りなど、宗教が関係しているものが多いのです。日本人の多くが無意識の中で宗教行事を行い、生活習慣や思考回路まで宗教の影響を実は受けているようです。小生が思うに、このことは意識しないと、改善もできないでしょう。
 別に宗教を捨てろとか言うつもりはありません。遠回りすることなく、一刻も早く、被災者には立ち直ってほしいだけであります。

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