2010年9月27日月曜日

幣原外交の再来か?

 最近の尖閣諸島で起きた中国漁船による問題で感じたことを書きます。

 結局のところ、事件を起こした船長を釈放、日本の外交的敗退となりました。これで多くの人が沈静化に向かうと考えていることでしょう。ですが、小生は別の思いがしたのです。昔、誰の書いた本だったか読んだ時、「幣原外交」というものがあったそうです。1924年から1927年にかけて、第二次護憲運動で成立した加藤高明内閣と若槻禮次郎内閣の外相として、幣原喜重郎が外相に就いたのです。

 幣原は日中友好を重視してイギリスから誘われた艦砲射撃を拒絶するなど、一定の自主的な外交姿勢をとりました。少なくとも当時の日本は、イギリスよりも紳士的な対応をしたのです。これを幣原外交と言うのですが、軍部は「弱腰外交」と批判しました。なので、弱腰外交の代名詞にもなっています。

 弱腰外交の後に起きたのは、蒋介石率いる国民党による北伐、日本製品の不買い運動、満州事変へと続いていきます。日本は戦争への道を突き進んでいくことになりました。小生には、この幣原外交の時に起きたこと、中国人の反応の仕方が現在の事件と重なって見えたのです。

 日本は戦争へ続く道を進んでいるのでしょうか?